澱
そうか、もう2年も放置してたのか。
もはや何するのも面倒で、生きるハリもあまりない。
日々はそれなりに楽しくも穏やかでもあるし
それなりの悩みも抱えている。
年明け転職し、新しい仕事にも職場にも慣れてきていい感じ。
一歩外へ出れば、反射的に程々人当たりよくふるまい、過ごしてる。
ただ、わたしの心を占める2大ストレスのおかげで、心底クリアな気持ちになれない。
その2つとは夫と母の事だけど、もはやそれはわたしの許容範囲の問題でもあるんだと思う。
わたしに攻撃的なわけではないのだけど、過去の仕打ち?態度?が
鉛のように詰まったままみたいだ。
そしてその2人は、わたしのそこまでのストレスをわかっていないので
細かな世話を求めてくるのだ。
わたしだって、母の病気が心配で気になって毎週会いに行くような娘でありたかった。
だけど、毎週末になるとこっちから「行こうか」と言わせるような、憐れみを帯びた電話をかけてくるのが嫌だ。
弟と同居しているため、弟夫婦にばかり負担をかけるのが悪いと思って行ってるだけだ。
弟夫婦と母の関係性も良好でないのも、母の性質のせいだし。
わたしに正当な用事でもあって忙しいなら堂々と断るけど、嘘をついて誤魔化すこともできない。
弟も妹もいるのにわたしをアテにしてばかりなのも負担だ。
とにかく、母とは性格が合わないと思っているし、好きだと思った事がない。
育ててくれたことに感謝はしてるけど、自分が親になった今、育てる事は当たり前だと思ってるし、だからって子どもに何かしてくれとは思わない。
夫に対してももうどこから話せばいいかわからないくらい不平不満が溜まってる。
身内の1番近い人間2人がその状態なので、わたしの日々の出来事やちょっとしたグチなんかを吐き出す先もなく、わたしの中には、処理しきれない不満が溢れそうに蓄積してる。
そういうものに蝕まれ、いろんな事が面倒という状態に仕上がってるんだと思う。
究極生きる事自体もう面倒なんです。
自ら死のうとは思わないけど、残り時間の暇を埋める為の財をなす為に働き、過ごしやすい環境を得るためにお愛想をしてるだけ。
この思いが何かの拍子で高まって、自ら死んだとしても、誰も理由なんてこれっぽっちも気づかないだろうな。
この生きがいもなく、ストレスに追われる日々がバカバカしくて、って感じだろう。
こんなことを綴ってるのも、きっとホルモンバランス的にそういう時期なんだとは思うし、またこんなこと忘れて楽しみ見つけて過ごす日々もくるのもわかってる。
この年までこの自分に付き合ってきたから、わかるんだけど、今はホントしんどい。
このやさぐれた気持ちがドロドロ湧き上がる醜い自分がホントに嫌だ。
でも母が嫌なのはずっと変わらない。
お母さんが好き、っていう人ホント羨ましい。
万太郎とすえちゃんみたいな夫婦も羨ましい。
ないものばかりをみても仕方ないけど、この解決しない2つがわたしの心の中で澱のように溜まってる。
捨てられないから苦しい。
今月の目標
目標をばーんとたてて、1ヶ月や1年を過ごすっていつからしていない??
その日暮らしのように、毎日をこなす日々だったことに気づく。
クリアする指標がある生活っていうのはなかなかいいものかも。
1ヶ月だったらがんばれば忘れずに心がけることもできそう。
今月=10月の目標。
もうすでに6日だけど、思い返せば10/2からウォーキングを始めたんだった。
これまで「やってみようかな」と思いつつ、実行にうつせなかったのに、次男が一緒に歩いてくれて会話も楽しいし今では歩きに行くのが楽しみになってる。
次男が塾で一緒に行けない日は、音楽聴きながら歩こうって思ってて、それも早く実現したくて楽しみだ。
日によって気候の違いを感じたり、暑い日にさっと吹くひんやりとした夜風を感じる瞬間が心地よかったり。
今月の目標は「ウォーキングを続ける」にしよう。
そして今月中に体重計の電池を交換して、体重も量ってウォーキングのモチベーションアップにつなげよう。
目標が2つもできたわ。
しかも後30分くらいで誕生日を迎えるのだ。
なんといいタイミング。
明日の誕生日からは目標達成を目指すわたしがニューボーンだ。
ふふふ。
真夜中の密かな決意と、ほくそ笑み。
考察
文章を書くことが好きだったはずなのに
ずっと遠ざかってた。
嫌いになったわけじゃなくて、文章にしたい感情が溢れてこなかったかんじ。
今の職場にも少しずつ慣れ、当初感じていた違和感は感じなくなったけど
これって感情を閉じ込めるようになったからでは❓
コロナで友人に会う機会が激減したってこともあるけど、
人と話しててもうまく話せなかったり、伝え方にとまどったりしてしまう。
自分がなんとなくよくないほうへ行ってるのでは❓と直感的に感じていた。
そんなところへ、「3月のライオン」の新刊を読んで涙を流したり
spitz聴いて心満たされたりして
「まだ わたし大丈夫」と思ったのと、取り戻したこの感覚を全身に行き渡らせたいと思えた。
人が変わっていくことはもちろんあるから、以前の自分と今の自分にギャップがあるのは別に不自然なことではないだろうけど、それが自分にとって居心地がいいかとか、自分で好きだと思えるかは大事なことだと思う。
わたしの場合は、最近の自分にしっくりきていなかったから、今の生活ペースの中で、どうにか納得できる着地点を見つけたくてもがいてる状況かな。
今こうやって久しぶりに文章にして表しているのは、その一環で
いろんなことを試してみているうちのひとつで。
多分わたしは、今の職場をどこかアホらしく思ってるのではないか。
一人一人の人は尊敬できるような人なんだけど
集団の方針というか、やり方に「なんでこんなふうにするんだ」という
相入れなさを持っていて、頭では周りに合わせて仕事をこなしているけど
どこか人ごとで、心が伴わないちぐはぐな時間を過ごしている。
おかしいと思うなら変えていくように動けばいい、ということさえしようと思えない。
粛々と仕事をこなして、お給料を貯めていくことだけが目的だし。
でもせっかくなら、人ごとじゃなくて、自分ごとでできる仕事に自分の時間を使いたいとは心の底で思ってはいて。
じゃぁそれはなんなんだろう❓って考えるけど、思いつかないし。
この歳になっても見つけられないわたしってって思うけど、きっと振り返ったらどこかにヒントはたくさん散らばってるんだろうな。
それに気づけてないんだろうな。と書きながら今思った。
うん、やっぱり書くことはわたしにとってはとても必要なことなんだなぁ。
書いてくうちに言葉も出てくるようになったし。
おおー、すごいじゃん。
spitz聴いた
久しぶりにゆっくりとspitzを聞いた。
とは言え、たまに聞いてたし、流してた。
今日は運転中に1人でしっかりと歌いながら噛み締めて。
思い返せば一年程前から、嵐の活動休止前で嵐に心は持ってかれてて
俗にいう「嵐沼」にはまっていたので、スピッツもさらりとしか追えていなかった。
嵐さんたちは知れば知るほど魅力的だし、休止後もそれぞれの活動や、ライブ映像、動画などを見ては尊さを惜しんでいたのでした。
という感じで久しぶりに気持ちを込めて聴いたspitz。アルバムはフェイクファー。ランダム再生でかかったのは「運命の人」「フェイクファー」「センチメンタル」。
前にヘビーに聴いていた時と違う感覚。もう歌詞に自分を投影できない。
さすがに50になったら、若々しい恋愛の歌は今の自分には重ならない。
それはむしろ、spitz自身にも言えることなんだろうけど、なんというかこうなってから楽曲の魅力が独り立ちというか。
その位置に置いてきたその楽曲たちが、そこへ辿り着いた次の人たちへ届いて、また心に沁み込んでいって、それを俯瞰しながら届けるspitzはさらにアーティストとしてすごいなぁと感動を覚えた次第。
最近はNetflixで映画やドラマやYouTubeでおもしろ動画を観てばかりだったけど、音楽はいいなぁやっぱり。心に最短距離で響いてくる。潤うよね。
新しい試みに想う
Bluetoothキーボードを購入した。
もともとパソコン画面に向かって
キーボードを思いつくままにたたいて
文章を書くのが好きだったんだけど、
パソコンに向かうこと自体が生活の中から激減してしまい
代わりに使っているのはiPhone。
iPhoneもキーボード入力で使ってはいるけど、
やっぱり片手てキーを打つのはやりにくいし
手が思考についていかない。
キーボード付きタブレットでも買おうかなぁと思いたち
調べ始めたらすぐに
Bluetoothキーボードが目に入った次第。
普段の環境が世の中のハイテク化が自然には耳に入らないとこなので
自分のやりたいことが
結構手軽に実現できるようになってることにさえ気付くのが遅れる。
いろいろ億劫になってるし、
出歩いたり人に会ったりもコロナの影響で控えているから余計とは思うけど。
でもこれからは、やりたいことがあったらすぐにあきらめずに
まず「できるんじゃね❓」と調べたほうがよさそうだし、
先入観は捨てよう。
なんせ世の中はわたしが思ってる以上に進化しているし、
世界が近くなっている。
昔々はアメリカンドリームなんて言って、
アメリカ行って大きな夢を叶える!って言葉もあったけど
今や夢は自分の手の中から始められる時代なんだな。
人間の進化のすごい過渡期とも思える。
インターネットネイティブ世代にはさして感慨もなかろうけど、
この変化の凄さを実感できてるのはおもしろいので
昭和を生きたことは本当によかったってしみじみ想うのである。
新生活
長男と次男が高校中学でW入学。
コロナで短縮バージョンではありますが、入学式も無事に終わりました。
果たして「無事に」と言っていいのか。無事かどうかは1、2週間後にわかるんでしょうけど。
コロナについてはいろいろ思うところはもちろんあるけど、自分のできることをやるしかない。
まだ感染者数が少ないから、学校も再開してるけど少ないからこそ、ここで食い止めるべく思い切って休むべきではないのかと思う。学校だけじゃなく、東京なんてその時点で対策してなかったから、今もう手がつけられなくなっちゃってるのに。なんでそれに学ばないんだろう。経済も大事だけど、事態が進行したら損害は大きくなるだけなんじゃないのかな?早い段階で思い切った策をとったほうが痛みは小さいと思うんだけどな。
結局コロナの話になってしまった。
新年度が始まって、子どもが中学生と高校生になり、特に小学生でなくなったことで夕方の習い事の送迎がなくなって時間が空いて助かる。自分で通ってるので心配はあるけど、慣れてもらうしかないんだよなー。
わたしの勤務時間も9時スタートになったんで朝少しゆとりがある。お弁当作りが始まるんだけども。コロナの影響でお弁当は来週からの予定。
その日々が始まったらいよいよ新生活の新ペース。わたしも子どもたちも早めに馴染めますように。
父親もいますが、彼の生活は何一つ変わってません笑笑
会社がどうか潰れませんように〜(切実)
金目鯛
ずっと継続されてるけど、わたしが読んだのは何年も前のもの。
その中で暮らしていたのは、関東では馴染みがあるであろうよく聞く漁港の近くらしく
毎日行きつけの魚屋さんで、その日のおすすめの魚を手に入れて、おいしそうに調理して食べていた。
それがとてもうらやましくて、ずっと印象に残っていた。
その中でも金目鯛がおいしそうで、高級魚なのはもちろんだけど
わたしの住むこの地方ではあまりお手頃ではお目にかかることもなく、金目鯛をいしいしんじさんの如く食す日をいつかきっとと心の奥底で細々と狙っていた。
夕飯の買い物。今日の予算はお財布に2千円と数百円の小銭。家族4人分、何にしようかとうろうろスーパーの店内をしていたら、目の前に金目鯛が丸ごと一匹。およそ870円。
たちまち目を奪われ、即座にクックパッドで調理法を検索し「酒蒸し」にロックオン。
もう、今日、ここで、この、金目鯛を逃してはいけない!
迷わずカゴに招き入れた。
だけど、4人でこの金目鯛一匹だと満足はできない。予算との相談。
うーーん。うちにあるもので何が追加の品を…。頭のなかフル回転。
チーズがある、卵もある、豆腐もある、あ!ベーコンもあったな
など思ったとこでひらめいた〜
ほうれん草を買い足して、ほうれん草とチーズとベーコンのスパニッシュオムレツと
豆腐と長ネギとわかめの味噌汁ができる!
必要な細々した食材を買い足した。
合計2014円!上出来!
帰宅してさっそく取りかかり、材料の野菜をフライパンに敷き詰め金目鯛をオン。
お酒を入れて蓋をして蒸しあげる。
オムレツを作ろうとしたときに、冷凍してあった赤パプリカも追加したら彩も綺麗になった。ナイス!
味噌汁は自家製味噌で元気の源。これはいつも問題ない。
出来上がった食卓は金目鯛のおかげで、ありあわせとは思えない華やかな感じになった。
憧れの金目鯛は家族からも好評。
でしょうね?でしょうね!
わたしが何年も思いを抱えていた金目鯛だよ?
1人1匹食べたいホドだよね(予算オーバー)
何もかもがうまくいった…
こんなふうに夕飯つくりに満足感を得られるのは、年に何度だろうか。
翌朝までその充足感を引きずり、ご機嫌で仕事へも出かけることができた。